代表・松川とそのほかの指導者を紹介します。

わかあゆスイミングクラブ誕生の秘話も公開します。
最後までお読みください。

 
代表  松川 大悟  

 

別府市出身。水泳教室経営者のもとに生まれる。

小学生の頃に大分県大会5年連続優勝の成績を収めるも、高校時代にはインターハイ出場を逃し挫折を経験。

大学進学後も水泳部に所属し、理不尽な上下関係に苦しみストレス性の潰瘍を患いながらも選手生活を全う。3年連続全日本学生選手権に出場を果たす。

最終学年時には主将に就任。泳げない学生が入部しても見捨てず、競技会レベルまで引き上げ、その経験から指導する喜びを知る。

卒業後、全国展開するスポーツクラブ運営会社のスイム部門に就職。

辛いことも共に乗り越える精神面へのアプローチと、根性論ではない最新のスイム技術指導に拘りを持つ。

述べ7万人の指導に携わり、ジュニアオリンピック入賞者を多数輩出するほどの指導者になる。

2002年、「わかあゆスイミングクラブ」主任コーチとして入職。アメリカ・イタリアに研修に通い、最新の科学的指導技術を習得。

コーチ陣を統括し、別府市ナンバー1の初心者指導実績を誇る。

日本スイミングクラブ協会優秀スイミングクラブ賞を大分県初の受賞。

現在は創業40年に及ぶ同クラブの代表を引き継ぎ、生後5ヶ月の乳児から88歳のお年寄りまで、親子3代で通う会員も現れる人気クラブに成長させている。

 

 


 <経歴>

・大分県教育委員会「未来のアスリート発掘・育成事業」水泳指導者(2010年)

・一般社団法人日本スイミングクラブ協会 九州支部 理事
・大分県スイミングクラブ協議会 競泳委員長

・別府商工会議所青年部 副会長

・大分県立別府青山高等学校卒(現:別府翔青高校)
・関西大学 経済学部経済学科卒

 

<受講・表彰・指導実績>

・米国研修(2014-2017年)
・大分県スイミングクラブ協議会コーチ研修修了
・別府市消防本部普通救命講習修了

・別府市スポーツ功労賞指導者賞10年連続(2003-2012年)
・第24回全国JOCジュニアオリンピック春季水泳競技大会

 50m・100m・200m自由形入賞者(第7位)育成

 

 

 

 <執筆実績>
・一般財団法人日本コアコンディショニング協会

 

 CCJ「水泳と発育発達理論」2009年10月号
・ワイヤーママ大分版
 「子育てと発育発達理論」2012年8月号

<メディア>

・CTBメディアにゲスト出演

 

 
 
 

 

私がスイミングスクール運営をする本当の理由

 

 

 

初めまして。わかあゆスイミングクラブ代表の松川大悟です。

 


大切なお子さんをお預かりするにあたり、私がどのような気持ちを持ってこのクラブを運営することになったのか。

 

 

 

その経緯のお話をさせていただきます。長文ではありますがしっかりお読み頂きご判断いただけたら幸いです。

 

 

 

私は1977年1月2日大分県の別府市で生まれました。

 

 

 

正月生まれの縁起のいい男ですね。

 

 

 

父は現職(2016年現在)の別府市市議会議員です。今期で5期目。パワフルな父です。

 

 

 

「人のために」という意志を持つ正義感の強い人です。

 

 

 

元々、別府市営の市民プールの水泳指導をしていた父は、別府市初の温水プールを作りました。

 

 

 

市民のみなさんによろこんでもらいたいという思いからだったと聞いてます。

 

 

 

そしてそのときに産声をあげたのが「わかあゆスイミングクラブ」です。

 

 

 

別府市で最も老舗の専業水泳クラブが誕生した瞬間ですね。

 

 

 

おかげさまで本年で創業から40年となります。

 

 

 

その松川家の長男として生まれました。

 

 

 

そして3歳のころから父にプールに連れていかれました。

 

 

 

モノゴコロついたときは水の中にいたのです。

 

 

 

父がまだ弊社のプールをつくる前でしたので、その頃は別府市営温泉プールで練習していました。

 

 

 

今は取り壊されてなくなってしまった施設です。

 

 

 

ここは温水プールと言っても温度調整のボイラーなどがあるわけではありません。

 

 

 

温泉をプールにドボドボとためておくだけのプールです。

 

 

 

温泉は気まぐれで出たり出なかったりします。

 

 

 

「真水じゃないの?」というときも多かったですね。

 

 

 

真冬は凍えそうになりながら練習です。

 

 

 

クチビルがむらさき色になっても練習していましたね。

 

 

 

その時代の指導は正直、厳しかったです。

 

 

 

小さいころから週6日間は練習に通いました。

 

 

 

20分泳いだら10分温泉につかるを4サイクル。

 

 

 

合計2時間というペースだったと記憶しています。

 

 

 

たぶんこれが凍死しない、ぎりぎりだったのかもしれませんね(笑)

 

子供の頃の私です。冬は凍えそうになりながら練習しました。

 

  

でもその頃の経験が今、役に立っています。

 

 

どんなつらいことがあろうとも「あのころに比べれば楽かな」と思えてしまうのです。 

 


 

 

口数も少なく運動も得意ではなかったのになぜ水泳をやめなかったのか?

 

 

その頃の私は決して運動万能だったとかわんぱく小僧のようだったわけではありません。

  

 

口数が少なくおとなしい子供でした。

  

 

運動も得意な方ではなく、ドッジボールのような球技はからきしダメ。走ることは特に苦手でした。

 

  

その証拠に下の写真は運動会で最下位になったときのものです。

 

 

でも水泳は絶対にやめようとは思いませんでした。

 

 

その理由は3つあります。  


 

 

ひとつは体が強くなることを感じたからです。 


 

 

保育園のころまでは病気で休むこともありました。


 

 

でも小学校・中学校では病気で学校を休んだことはありません。


 

 

体力がついたからですね。これは私にとってはとてもありがたいことでした。 


 

 

ふたつめの理由は、心が強くなったからです。

 


 
水泳はサッカーや野球といった団体スポーツのように他人の力を借りることができません。


 

 

頼れるのは自分の力のみになります。だから苦しい時、ツラい時、それを乗り越える時に精神力が鍛えられていくのです。


  

 

私は小学校4年生のころくらいまで、あがり症でした。


 

 

授業で先生にあてられると緊張してうまくしゃべれません。


 

 

本番に弱く、水泳も最初のころは本番で力を発揮できないタイプでした。 


 

 

ところが練習を重ね5年生で九州ナンバー1になったとき、自信が湧き上がり大会でも力が出せるようになりました。


 

 

人前で話すことも緊張しなくなりました。

 


 

何より大人になった今、どんなにツラいことがあっても『水泳の苦しさに比べれば大したことない!』


 

  

と思えるようになりました。

  


 

ここでがんばったことは人生のターニングポイントだったと思います。


 

 

水泳を続けられた3つめの理由として、やればやるほどうまくなる スポーツだからです。 


 

 

他のスポーツはそうはいきませんよね。例えば短距離走だったら生まれもった筋力や歩幅が優位になったりします。


 

  

野球やサッカーも、もともと持っているその選手の体力や筋力がプレイにハッキリ出ます。


 

 

努力をしてもなかなか埋められないミゾみたいなものがあるじゃないですか。

  


 

ところが水泳は違います。

 

 


元来の体つきや体力の差がプレイに直結しにくいものなんです。
 


 

 

おそらくどんなスポーツよりもその差がない競技であると思っています。

 


 

だから私のように運動が苦手で、地味で大人しい子供にはぴったりでした。


 

 

運動能力抜群のパワフルな同級生にも水の中に入れば勝てます!

  


 

これは最高の気分でした。以上の3つが厳しくても水泳をやめなかった理由です。


 

  

私の持論なのですが、おそらく人間はもともと泳ぐことが身について生まれたわけではないと思うのです。 


 

だから全員が同じ条件「泳げない」というスタートラインから始められるスポーツだと考えています。


 

大分県大会優勝旗を持っているのが私です。水の中で私は自分を変えることができたのです

 



 

 

水泳が教えてくれた立派なオトナになるために一番大切なこと

 

 

 

地味で目立たなかった私が大分県合同学童水泳大会において、小学1年から5年まで5連続優勝を達成しました。

 

 

 

未確認ですが今もまだこの連続記録は破られていないと思います。

 

 

 

ただ、忘れてはいないこんなエピソードもあります。

 

 

 

6連覇がかかる小学6年生のころの大会の話です。

 

 

 

周りの誰もが「大悟くんが優勝するだろう」 そう思っていたと思います。

 

 

 

もちろん私もそう確信していました。

 

 

 

しかし終わってみると、いつもいっしょに練習していたメンバーに僅差で負けたのです。

 

 

 

負けた瞬間、私はこう思いました「父に怒られる」と。

 

 

 

そして重い足を引きずりながら帰り、父にコワゴワ報告しました。

 

 

 

そのときの会話です。

 

 

 

 

 

私(大悟):「ごめんなさい。負けちゃった。」

 

 

父:「そうか。おまえ、がんばったか?」 

 

 

私(大悟):「やれることはやったよ。思いっきりやった」 

 

 

父:「がんばったのか。ならいい」

 

 


そんな内容です。そのときは涙が出るくらいうれしかったです。

 

 

 

怒られたらどうしようとばかり思っていたので驚きました。

  

 

 

 

今、わかあゆスイミングクラブは別府市では、最も強い競泳選手を生み出すスイミングクラブです。

 

  

ジュニアオリンピック出場者も生まれましたし、九州大会でも圧倒的な結果を出しています。

 


 
 

でも「勝てばいい」ではありません。

 


 

やると決めたら目標に向かって全力を尽くすこと。 

 


 

お世話になっている人たちへの感謝の気持ちを忘れないこと。


 

 

どんな困難にぶつかっても乗り切る精神の強さを身につけること。

 


 

その方が大事です。

 


 

 

 

今振り返るとスイミングの魅力をそのころのコーチや父に、声なき声で教えてもらっていたのですね。

 


 

おかげさまで大人しい性格だった自分も、自信がどんどん湧いて性格も明るくなりました。 


 

 

こんなエピソードもあります。


 

 

 

50mプールの中央に父が立ち「ここまで泳げたら自転車買ってやる」と言われたことがあります。

 

 

 

自転車が欲しかった私は思い切って挑戦しました。

 

 

 

しかしまだスイミングを習いはじめたばかりなので泳ぎきれず、ズブズブと沈んでしまいました。

 

 

 

すると父が救いあげてくれました。

 

 

 

今思うと虐待かと思われるかもしれませんね。

 

 

 

実はそうではありません。

 

 

 

本当はそこまで泳げるチカラがあったと思います。

 

 

 

でも自分では泳げないと思い込んでいたフシがあります。

 

 

 

父はそこを見抜いていたんです。

 

 

 

父は私に自信をつけさせたかったのでしょう。

 

 

 

父らしい指導だと思います。(今はこのような指導はしませんから安心してくださいね)。


 

 

父・母と妹との写真です。厳しくも優しい両親で、あたたかい家族でした

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さてもう少し私の背景を紹介しましょう。

 

 

 

母は薬剤師でした。自宅の1階で薬局を経営していました。

 

 

 

しつけは厳しく、礼儀作法についてと勉強についてはうるさく言われました。

 

 

 

父も文武両道を徹底していました。

 

 

 

いつも「水泳バカにはなるな」と言われていた記憶があります。

 

 

 

中学生のころになると学校が終わってからすぐに水泳の練習。

 

 

 

その後に家庭教師が来て勉強という生活でした。

 

 

 

成績があまりよくなかった私も、高校生のころは私立文系クラスでは5本の指に入るくらいになっていました。

 

 

 

最初はどんなにうしろからのスタートでも、コツコツやればそれなりになることがよくわかりました。

 

 

 

 

 

さて中学生になると、水泳にますますのめり込みました。

 

 

 

タイムもどんどん上がり、全国大会で5位に入るほどになりました。このころは最高に楽しかったですね。

 

 

 

さらに快進撃と思いきや、ここで大きな壁にぶつかることになります。

 

 

 

 

 

待ち受けていた挫折

 

 

 

中学時代に目覚ましく成長したので、地元の高校に入学しても水泳は続けました。

 

 

 

そこで突然、先生から「クロールでインターハイを目指すように」と指示されました。

 

 

 

 

それまでのわたしは個人メドレーの選手でした。

 

 

 

突然のことでしたが先生に言われたら仕方がありません。

 

 

 

そこでもがむしゃらにがんばりました。

 

 

 

しかし・・・・

 

 

 

いつも惜しいところでインターハイに出られないのです。

 

 

 

ひどいときは「あと0.1秒」足りずに出場を逃したときもありました。

 

 

 

神さまはずいぶんと過酷なことをするなと思いました。

 

 

高校時代の画像です。インターハイに手が届かず。ツラい思い出です。

 

 

 

 

高校を卒業した私はもう競技者としての水泳はやめようと思いました。

 

 

 

勉強でもそれなりの成績を収めていたので、関西の大学に一般推薦入学しました。

 

 

 

さぁこれから新しい生活が待っているぞ。頭を切り替えようと意気揚々と入学しました。

 

 

 

でも何か物足りないのです。

 

 

 

時間もたくさんあるのに何をしていいかもわからない。

 

 

 

燃えるようなものがない。

 

 

 

そんなときに気づけば学校の屋内プールに足が向いていました。

 

 

 

そこにはきれいな施設・キラキラ輝く透き通った水・・・。

 

 

 

それを見たとき、私の胸が高鳴り、「もう一度やってみよう!」と思い、水泳部に入部しました。

 

 

 


 

 

待っていた厳しい上下関係

 

 

 

入部したものの、この大学は決して水泳部の強い学校ではありませんでした。

 

 

 

全国大会もおそらく私が入学前は、向こう10年くらい全国大会にも出場していないレベルです。

 

 

 

専門のコーチもトレーナーもいない。そんな環境でした。

 

 

 

それだけではなく理不尽な上下関係がありました。

 

 

 

4年生は神様。1年生は奴隷(どれい)みたいなイメージです。

 

 

 

練習どころではなく、先輩たちの世話などに追われる毎日。

 

 

 

私は激しいストレスに見舞われ、カラダに湿疹が出るようになりました。

 

 

 

さすがにこれ以上続けられそうもなかったので、カラダを休めに一度実家に帰りました。

 

 

 

そこで医者に通ったところ十二指腸潰瘍と診断されました。

 

 

 

理不尽な上下関係は私のカラダを蝕(むしば)んでいたのです。

 

 

 

 

 

2年生になったとき、新4年生になった先輩たちが「このままではいけない。

 

 

 

結果を出すための厳しさに変えよう」と理不尽な上下関係を撤廃してくれました。

 

 

 

これが転機になります。

 

 

 

 

 

私の同級生には高校時代に全国大会に出ていたメンバーがたまたま数名いました。

 

 

 

その中に理系の同級生がいて、彼がパソコンとデータを駆使して効率的に結果を出す練習プログラムを考え出したのです。

 

 

 

彼らの人脈をたどり、有名な水泳コーチに練習のアドバイスをもらい、更に練習プログラムの精度を上げました。

 

 

 

 

するとその年から日本学生選手権水泳競技大会に出場する選手が現れ、私も全国大会に出場するようになりました。

 

 

 

それまではコーチや先生の言うことをそのまま聞いて練習をするのがあたり前のような生活でした。

 

 

 

でも水泳はプールに入ればひとりです。

 

 

 

自分ひとりでどうすれば早く泳げるようになるかを考える機会が多い。

 

 

 

自分で考えて行動する能力が磨かれるスポーツとも言えます。

 

 

 

 

気づけば3年連続で日本学生選手権に出場することができました。

 

 

 

 


 

主将になったときに現れた「泳げない」部員

 


最上級生になったとき、私は主将に選ばれました。


 


そこで運命の出会いが待っていました。新1年生に「泳げない」部員が入ってきたのです。

 

 

 

最初は「うそだろ?」と思いましたね。大学の水泳部に泳げない部員って・・・。

 

 

 

驚いて空いた口がふさがりませんでした。

 

 

 

でも彼は本気で水泳部に入りたいと言うのです。

 

 

 

ここにはコーチがいるわけでもないので、どうしようかと部員たちと話し合いました。

 

 

 

そこで結局、「主将が教えるのがスジだろ」ということになってしまいました。

 

 

 

私は3歳のころから水泳をやっていたものの、それまで人に教えた経験はそれまでありません。

 

 

 

でもやらなければならなくなってしまったのです。

 

 

 

教えるというのは全く違うスキルです。

 

 

 

でもやるしかないので全くの自己流で泳ぎを教えました。

 

 

 

 

 

鏡の前でふたりで泳ぐ真似をしてフォームをチェックしたりとか。

 

 

 

自分の練習時間が少なくなってしまうのでやきもきするときもありました。

 

 

 

イライラして彼に厳しく当たってしまうことも正直ありました。

 

 

 

でも次第に彼の一生懸命に泳ごうとする姿に心打たれました。

 

 

 

すると私の中にもなんとかしてあげようという気持ちが芽生えてきたのです。

 

 

 

その1年生も、次第に競技会に出場するレベルにまで泳げるようになったのです。

 

 

 

彼が泳ぎ切る姿を見たとき、感動でカラダが震えました。

 

 

 

教えるっておもしろいんです!

 

 

 

思い起こすと、彼が私の指導者への道筋を作ってくれたのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして水泳指導者の道へ

 

 

 

父が別府でスイミングスクールを経営していましたが、「自分の好きなことをやりなさい」といつも言ってくれました。

 

 

 

とは言うものの松川家の長男である私は子供のころからいつか家業を継がなければならないかな・・・という思いがありました。

 

 

 

正直お話しますが、大学の就職活動から会社に入るまで、本当にやりたいことが分かりませんでした。

 

 

 

頭の隅に家業が常にあり、継がないといけないという義務感と言いますかそんな気持ちがあったのも事実です。

 

 

 

 

 

しかし運命なのか先ほどの泳げない部員との出会いも背中を押してくれて、水泳の指導に強い関心がふつふつと湧いてきました。

 

 

 

そして一度大きな会社で修行しようと覚悟を決めたのです。

 

 

 

1999年。大学を卒業したのち、北海道から九州エリアまで全国に店舗を持つ東京の大手スポーツクラブに入社しました。

 

 

 

スイム部門が充実していたのがその会社を選んだ理由です。

 

 

 

そこで子供からお年寄りまで延べ7万人くらい指導しました。

 

 

 

前任のスイム担当の人が辞めたばかりのときで、最初から責任ある仕事を任せてもらえました。

 

 

 

スイミング指導はとてもやり甲斐があります。

 

 

 

週休2日制の会社なのですが、私が2日休むとスイミングの指導も2日空いてしまいます。

 

 

 

ものごころついてからずっと水泳をしていた自分にとって、週に2回も泳がないことは考えられませんでした。

 

 

 

そこで休暇は週1回にして、無給で働きました。

 

 

 

それは私が勝手にやっていたことです。

 

 

 

休みの日でも、水泳のレッスンの時間だけ会社に行ったりもしました。

 

 

 

選手指導もやっていたので、そのくらいはあたり前だと思っていましたね。

 

 

 

何より楽しかったです。

 

 

 

そして2001年3月には、選手指導においてはその事業所初となるジュニア指導の最高峰、全国JOCジュニアオリンピック水泳競技大会入賞者が出ました。

 

 

 

 

 

それが口コミになり、他のクラブから私の指導を受けたいがために移籍してくる子供まで現れました。

 

 

 

私はこのころ、どうしたら水泳を楽しく、且つうまくなるかの指導方法を考え続けていました。

 

 

 

それには子供ひとりひとりを注意深く観察することが大切なのです。

 

 

 

性格も体力も何もかも違うので、すべて教え方を変えなければなりません。

 

 

 

そのために会話を大切にして子供たちに目標をはっきりさせていました。

 

 

 

教えたことができない子供たちには、その子供のフォームを実際にマネて泳いでみたこともあります。

 

 

 

するとその子の気持ちがわかるようになるのです。

 

 

 

うまくできない理由がわかれば教え方を変えることができます。

 

 

 

やがてジュニアオリンピックに出る選手も何人か現れるようになり、

 

 

 

気づけば述べ7万人の指導をしていました。

 

 

 

そこで指導者としてどんなときが一番うれしいか、自分でもわかってきました。

 

 

 

意外に思われるかもしれませんが、指導者として一番うれしいのは「泳げなかった子が初めて泳げたとき」

 

 

 

「水に顔をつけることを怖がった子が水につけられるようになったとき」のふたつです。

 

 

 

このときはほんとうにうれしくて感動します。私のこころが震える瞬間です。

 

 

 

私は水泳を通じて、心とカラダを鍛えることを信念としています。

 

 

 

一生懸命に練習し、レースのときに100%の力を出し切った子は、例え負けても怒りません。

 

 

 

仮に練習で手を抜いていたのにレースで勝った子には「もっとちゃんと練習すれば、よりいい結果が出せるのにね」と悟(さと)します。

 

 

 

親や、目上の人に無礼な口の利き方をする子は叱ります。

 

 

 

ノビノビとやらせて、厳しいところは厳しくする。

 

 

 

それが私の指導スタイルです。

 

 

 

「水泳バカになるな」という父の教えに沿ったものかもしれません。

 

 

 

水泳を通じて人間を育てる。そんな思いで指導していました。

 

東京時代の選手コース。厳しく指導しました。

幼児コースでは優しいです!


 

 

  

 


突然の母の余命宣告

 



東京に上京してから3年の月日が流れました。


 

 

仕事も楽しかったです。

 


 
 

そんな最中、父から一本の電話がありました。


 

  

「話したいことがある。一度こっち(実家)に戻れないか?」という内容でした。


  

 

何かが起こった予感はするものの、わけもわからず一日休暇をもらい実家に帰りました。


  

 

そこで待ち受けたものは母の余命宣告でした。


   

 

母は体調がすぐれない状態が続いていたにもかかわらず、病院にいかなかったそうです。


 
 

見かねた父が病院に連れて行ったところ末期がんにカラダが蝕(むしば)まれていました。


  

 

もってあと4ヶ月という厳しい現実を医師から告げられていたとのことでした。

  

 


更に父から、わかあゆスイミングクラブを手伝ってもらえないかという話が出ました。

  


 

そのときの私は涙がとまりませんでした。

 


 
 

18歳のときから6年間、家を出てしまったので、近くにいなかったから母がそんな状態になってしまったのではないか。

  


 

そう自分を責めました。


 

 

そして東京に戻り、実家に戻る覚悟を決めました。 


 

 

付き合っていた女性に事情を話し、結婚することになりました。それが今の妻です。


 

 

妻は東京の人でしたが事情を聞いて納得してくれました。

 

 


仕事を辞めるとき、職場では大変なことが起こりました。

 


 

選手コースの親御さんたちの緊急会議に呼び出され、

 


 

「松川コーチが辞めるのは反対」と言われたのです。

 


 

このときはびっくりして言葉も出ませんでしたが、事情をお話してみなさんにわかってもらいました。

 


 
このとき私は「3年間がんばってきてよかった」。

 



そう強く感じました。


東京のクラブの最後の日の画像。親御さんや子どもたちが集まってくれました

 

 

 



母のいない結婚式

 

 

 

2002年4月、わかあゆスイミングクラブに入社しました。

 

 

 

主任コーチとしてコーチ陣を統括する立場です。

 

 

 

最初はお客さまとコーチ陣の質の違いに戸惑いましたね。

 

 

 

わかあゆのやり方に馴染もうと必死になって働きました。

 

 

 

と同時に、結婚式の準備もすすめていました。

 

 

 

母には少しでも長生きしてほしかったのでなるべく一緒に過ごす時間をもうけていました。

 

 

 

そしてその日がくることになりました。

 

 

 

妻がいよいよ東京の家を引き払い、大分に来るその日、母の容態が急変し息を引き取りました。

 

 

 

結婚式まであと3週間というときでした・・・。あともう少しだったのに・・・。
 

 

 

母に私の結婚式を見せられなかったのはとても悲しかったです。


母の遺影を持ちながらの披露宴でした。
 
 

 



子供のためのホンモノのスイミングスクールにするために

 

 

 

母の死後、仕事に集中しました。

 

 

 

この悲しみを無駄にはしたくなかったですし、母が私を別府に引き戻してくれたんだと思えたからです。

 

 

 

そこで私は各コーチ・スタッフの持ち味を活かそうと思いました。

 

 

 

わかあゆスイミングクラブのコーチ陣はベテラン揃いです。

 

 

 

指導歴38年のコーチもいます。

 

 

 

シンクロ県代表コーチ、競泳インターハイ出場者、ライフセーバー資格者などもいて、コーチの腕はピカイチでした。

 

 

 

私は彼らの持っている各々のコーチングの持ち味を活かすことを日々考えています。

 

 

 

別府の風土を知り尽くしている彼らは、東京やキャリアの浅いコーチとは全く違う指導をします。

 

 

 

子育ての経験のある人達が多く、子供の気持ちをつかむのがうまいんです。

 

 

 

 

幼稚園の先生の免許を持っているコーチもいます。

 

 

 

 

 

子どもたちの性格や、どんな生活をしているかまで日々の変化をしっかり見ます。

 

 

 

例えば子供が「今日はプールに入りたくない!」とぐずるときがあります。

 

 

 

それは何かのサインなのです。体か心に何か起こっています。

 

 

 

そんなときこそ、なぜ入りたくないのかを私たちは注意深く聞くようにしています。

 

 

 

これはまず他ではできないでしょうね。

 

 

 

ベテランがズラッと揃っているからこそできることですから。

 

 

 

子どもたちの個性を伸ばす指導をするには最高の環境だなとつくづく思います。

 

 

 

 

私自身にも小学生と中学生の子供がいますが、ふたりともここでスイミングを習っています。

 

 

 

又、わかあゆには、生後5ヶ月の子供から88歳のお年寄りまで会員がいます。

 

 

 

「ゆりかごから墓場まで」水泳が続けられるスイミングスクールになりました()

 

 

 

親子3代で通う会員さんも少なくありません。

 

 

 

これまでコツコツと個性的なコーチたちとともに、子どもたちに全力で向き合い続けました。

 

 

 

 

すると、選手コースの中にはジュニアオリンピックに出場するくらいまで上達する子供たちが続々と現れたのです。

 

 

 

やがて、別府初となる大分県教育委員会より水泳指導者の委託の話までいただくようになりました。

 

 

 

また、別府市から 10年連続で優秀指導者賞を受賞しています。

 

 

 

本当にありがたく感謝の気持ちでいっぱいです。

 

ジュニアオリンピック出場や、2015年には全国大会6位となる中学生も誕生しました。

 

 

 

 

 

これまで、わかあゆでは延べ6万人あまりを指導してきました。

 

 

 

スタッフ共々、一丸となって子どもたちを指導していたことが社会的にも認められるようになるのはわたしたちの誇りです。

 

 

 

水泳を通じて、子どもたちがどんどん元気になるのがこの上なくうれしいです。

 

 

 

わかあゆスイミングクラブはおとなしくひかえめな子供と、やんちゃな元気な子たちが混ざっています。

 

 

 

おとなしくひかえめな子どもたちがみるみる自信をつけて明るく元気になっていく。

 

 

 

やんちゃで大人が手を焼いていたような子が、気づけばリーダーシップを身につけて礼儀正しくなっていく。

 

 

 

スイミングを通じて子どもたちにそんな大きな変化が起こせるのは、日本でここだけではないかなと私は思っています。

 

 

 

 


 

妹よ!おまえもか・・・・!

 

 

 

さて、ここでもうひとつ私の使命を決定づけた事件のお話をしようと思います。

 

 

 

別府に戻り順調にわかあゆスイミングクラブの仕事をしていたのですが、

 

 

 

ここでまた神さまは私の人生に大きな試練を与えました。

 

 

 

妹の死です。

 

 

 

妹は私と性格が真逆で、なんでも言いたいことを言うような人でした。

 

 

 

私が小学校3年生くらいまでは妹の遊びに付き合ってあげていた記憶があります。

 

 

 

リカちゃん人形とかおままごと遊びとか。

 

 

 

仲はよくて、子供のころは勉強のことで私を頼ってくることもありました。

 

 

 

私が結婚してしばらくは、『自分の兄を奪われた』という感情があったようで、妻と妹は些細な事ではしばしばケンカをしていました。

 

 

 

その妹がある日の朝、心筋梗塞で亡くなりました。

 

 

 

そのときは気が動転してしまい、事実をすぐにうけとめられませんでした。

 

 

 

死後硬直で硬くなった妹を見て、悲しさというよりまだ生きてるんじゃないか、まだ目を覚ますんじゃないか、という気持ちでした。

 

 

 

ウソだろ!?という感覚です。

 

 

 

そして妹を抱きかかえる父が、私が今まで見たこともない大泣きで、妹の名前をひたすら叫び続けている姿を見て、自分の分身への大切さというか愛情、悲しみを感じました。

 

 

 

だからその時は、妹が死んで悲しい、というよりも死んだ妹を見て泣いてる父を見て悲しくなった。

 

 

 

そんな感覚でした。

 

 

 

享年29歳。

 

 

 

あまりに早い死・・・。

 

 

 

葬儀の最後に棺桶の蓋を閉めた後に、もう妹に会えなくなるという感情がこみあげ涙が止まりませんでした。

 

妹と私です。妹は私のココロの中で今も生きています

 





 

私が本当にすべきこと

 

 

 

2016年。私はわかあゆスイミングクラブの代表取締役に就任しました。

 

 

 

ふりかえってみると母と妹の死ということが起こった中で、思うことがあります。

 

 

 

人はいつ死ぬかわかりません。

 

 

 

でも必ず死は訪れます。

 

 

 

その間は精一杯、楽しく生きることが一番大事です。

 

 

 

健康で健やかに一日でも長く生きられるように努力を惜しまないこと。

 

 

 

私はスイミング指導を通してそれを伝えていこうと覚悟を決めています。

 

 

 

わたしたちの指導はときに厳しさがあります。

 

 

 

子どもたちがぐずっても、苦しくても練習をさせるときもあります。

 

 

 

それはなぜか?

 

 

 

今も大事だけど将来を見据えた生き方をしてほしい。苦しみから逃げる大人になってほしくないからです。

 

 

 

親御さんたちにもそんなお話をよくします。

 

 

 

それだけに「すべておまかせします」と言ってくださる親御さんが多いです。

 

 

 

私の理想とする社会は、市民のみなさんがいつまでも健康で楽しく生きていけるような社会です。

 

 

 

スイミングはそれを実現する最も近道なスポーツだと確信しています。

 

 

 

なぜなら赤ん坊の頃から、老人になるまで続けられるからです。

 

 

 

心と体を鍛える最高のもの。

 

 

 

そして子どもたちが自信を持って生きられるようになるものだからです。

 

 

 

元気になれば仕事もうまくいく。

 

 

 

仕事がうまくいき、いつまでも健康であれば医療費も減る。

 

 

 

どんな苦難があってもみなが力を合わせることができる。

 

 

 

すると日本は豊かになれる。

 

 

 

そのように考えています。

 

 

 

私は母や妹の死を通じて、健康についての勉強を今も尚、続けています。

 

 

 

最先端の機能解剖学・運動生理学を学びにイタリアやアメリカにも研修に出かけています。

 

イタリアのトスカーナでの研修

 

アメリカ(コロラド州ボルダー)での研修

 

 

 

指導者たるものは常に学びを続け、それを自らやってみて効果を検証してからお客さまに提供すべきである。

 

 

 

そう考えています。

 

 

 

コーチの入れ替わりが激しく、日進月歩のスイミング技術を勉強しない、

 

 

 

古文書レベルの泳ぎ方を教えているコーチがいるスイミングクラブを絶対に許せません。

 

 

 

そしてパーソナルトレーニングの仕事も始め、スイミングではまかないきれない皆さんの健康を保つための活動をしています。

 

 

 

わかあゆスイミングクラブの理念は、「明るく健康な心と身体」です。

 

 

 

この考えにたどりついたのは、ご説明した私のこれまでの経験からのものなのです。

 

 

 

その理念にのっとり日々精進して参ります。

 

 

 

わかあゆスイミングクラブのコーチ陣たちと共に、お待ちしています。

 

 

 

わかあゆスイミングクラブ
代表  松川 大悟

 

 

 

 

 

 

 

わかあゆSCのベテラン指導者たち

 

 
大林 悟  クラブ長  
指導歴39年

担当:幼児学童・学童学生・競泳・成人

一言:

子供達のことを第一に考え、楽しく時には厳しく指導をしております。健全で逞しい心と体を育みましょう。

 

 

<経歴>

・大分県水泳連盟 理事

・大分県スイミングクラブ協議会 事務局長

・(一社)日本スイミングクラブ協会 登録指導者
・(公財)日本水泳連盟公認 一種競技役員

・別府市消防本部普通救命講習修了

 

<受講・表彰歴>

・(一社)日本スイミングクラブ協会九州支部功労賞
・大分県スイミングクラブ協議会コーチ研修修了

・別府市スポーツ功労賞指導者賞15年連続
 

<主な選手指導実績>

・第24回全国JOCジュニアオリンピック夏季大会
 女子10才以下 50㍍平泳ぎ 準優勝者育成

・第25回全国JOCジュニアオリンピック夏季大会

 女子11・12才 100㍍平泳ぎ 準優勝者育成
・第26回全国JSCAブロック対抗水泳大会
 女子13・14才 200㍍平泳ぎ 優勝者育成

 

<趣味>

・釣り

・パソコン

 


 


佐々木 まゆら 専任指導員 指導歴10年

担当:幼児学童・学童学生・成人 

 

一言:

『プールに行きたい!』・『泳ぐの大好き!』と思ってもらえるように、コミュニケーションを取りながら楽しく時には厳しく指導をしています。
子供たちの『出来た!』という笑顔が親御さんに沢山届くよう心がけています。

 

<経歴>
・(一社)日本スイミングクラブ協会 泳力認定員
・(一社)日本スイミングクラブ協会 登録指導者
・(一社)日本スイミングクラブ協会 救急蘇生法適任者
・幼稚園教諭二種免許
・大分県スイミングクラブ協議会コーチ研修修了

・別府市消防本部普通救命講習修了

<趣味>

・スポーツ(球技)

・ドライブ

 

 


 
田村 美由紀  
指導歴7年

担当:幼児学童・学童学生・競泳・成人

一言:

みんなの笑顔が大好きです、プールでみんなと会えるのを楽しみに待ってます。

 
<経歴>

・全日本実業団水泳競技大会50㍍背泳ぎ第3位
・国民体育大会出場複数回
・(一社)日本スイミングクラブ協会水泳十段位

・(一社)日本スイミングクラブ協会 登録指導者
・大分県スイミングクラブ協議会コーチ研修修了
・別府市消防本部普通救命講習修了

<趣味>
・料理

・手芸

 

 


 
山岸 繁子  
指導歴16年

担当:幼児水慣れ・幼児学童・学童学生

 

一言:

子供達が皆、孫のようで可愛いいです。

 
<経歴>

・(一社)日本スイミングクラブ協会 登録指導者
・大分県スイミングクラブ協議会コーチ研修修了
・別府市消防本部普通救命講習修了
 
<趣味>

・踊り

・司会

 

 





その他、コーチ10名(シンクロ県代表コーチ、競泳インターハイ出場者など)在籍